若き科学者ボブの未来は、前途有望で輝いていた。公私ともに充実し、満ち足りた日々を送っていた。
ある晴れた日、彼は恋人のサラを助手席に乗せ、海岸沿いをドライブしていた。激しく風になびくサラの長い髪が、車のスピードの速さを物語っている。
そこはリアス式海岸に沿った、カーブの連続する険しい道だった。直線に入ったかと思えばすぐに急カーブが現れ、それを抜けるとまた直線が続く。ボブはまるでレーサーにでもなったような気分で、小気味よくハンドルとアクセルを操っていた。
「危ないから、もう少しスピードを落として」
サラが不安そうに声をかける。
ボブも「少し出しすぎたか」とアクセルを緩めようとした、その瞬間だった。対向車がセンターラインを大きくはみ出して突っ込んできたのだ。
このままでは正面衝突する――。ボブは渾身の力でブレーキを踏み込み、必死にハンドルを切った。
車は辛うじて海への転落を免れたが、勢いそのままに反対側の崖へと乗り上げ、むき出しの岩肌に激しく激突して止まった。原因を作った対向車は、何事もなかったかのように走り去っていく。
「ふーっ……!」
ボブは大きく息を吐き出し、隣のサラを見た。
彼女は頭から血を流し、ぐったりと動かなくなっていた。ボブ自身の額からも血が流れていたが、そんな痛みは気にならなかった。
「サラ! サラ! 嘘だろ、目を覚ましてくれ!」
必死に揺り動かしたが、彼女の頭は力なく、がくりと傾くだけだった。サラは、息をしていなかった。
現実を受け入れられないまま、ボブは震える手で救急車を呼んだ。すぐに救急車が到着し、病院へ搬送されたが、そこで告げられたのは無情な「死亡宣告」だった。あまりにも打ち所が悪かった。
「なぜ、僕だけが生き残ってしまったんだ」
プロポーズをしようと決意していた矢先の悲劇。絶望が、ボブを暗い底へと突き落とした。
霊安室に案内され、さっきまで楽しそうにおしゃべりをしていた最愛の人の遺体の前で、ボブは泣き崩れた。
「しばらく、二人きりにしてください……」
看護師が気を利かせて退室し、部屋にはボブとサラだけが残された。その時、ボブは狂気とも言える行動に出る。鞄から注射器を取り出し、サラの体に迷わず突き刺したのだ。
シリンジの中にあったのは、彼が研究室から持ち出した、小さなボトルに入った謎の液体だった。
研究はまだ成果を出しておらず、最終的に臨床試験を行う段階のものではあった。亡くなった恋人を人体実験の道具にするなど、科学者として、人間として許されることではない。彼の研究は、蝕まれた臓器に幹細胞を注入して組織を再生させるためのものだった。
死んでしまった臓器であっても、ひょっとしたら脳が刺激を受け、再び心臓や肺を動かしてくれるのではないか――。ボブはそんな一縷の望みにすべてを賭けたのだった。
しかし、奇跡は起きなかった。夢物語は虚しく消え去り、サラは棺に納められ、静かに墓地へと埋葬された。
サラの両親からは「娘を返して」と泣き叫ばれたが、ボブには返す言葉もなかった。スピードを出しすぎた自分に責任がある。だが、あの対向車さえいなければ……。そんな行き場のない怒りと後悔だけが彼を蝕んでいく。
人はいつも、最悪の事態が起きてから激しく悔いるものだ。「あの時、スピードを落としていれば」「あの道を選ばなければ」。ボブは終わりのない後悔の念に苛まれ続けた。
そうして、涙に暮れたまま一ヶ月が経ったある日のこと。ボブはサラの墓前に伏していた。
その時、かすかな物音が足元から聞こえた気がした。墓の下からだ。
「まさか……サラが生き返って、棺の中で苦しんでいるんじゃないか?」
一度生まれた狂おしい妄想はボブの心を支配し、彼は我を忘れて素手で墓の土を掘り返し始めた。
棺の蓋をこじ開けると――そこには、息をして生きているサラの姿があった。
ボブが開発していた幹細胞には、自己のクローンを作り出す強力な働きがあった。サラの体の一つ一つの細胞が、一ヶ月の時間をかけて新しく生まれ変わり、彼女を蘇生させたのだった。
ボブは歓喜し、彼女を自宅へと連れ帰った。しかし、神の領域に触れた代償は、あまりにも残酷な形で現れる。
新しく生まれたクローン細胞には、あらかじめまさかの「寿命のタイマー」が組み込まれていた。それも、通常の人間より遥かに短いタイマーだった。サラに残された時間は、あまりにも少なかった。
それからの日々、ボブは残された時間のすべてをサラに捧げた。一週間のうちにプロポーズをして、ささやかな結婚式を挙げ、ハネムーンにも出かけた。サラは夢のような時間を、「花嫁」として駆け抜けた。
そして一週間後、彼女は再び、静かに息を引き取った。
愛する人を二度失ったボブを待っていたのは、冷徹な現実としての裁判だった。彼女を生き返らせた奇跡の代償。その法律と倫理の壁が、再び二人を永遠に引き裂こうとしていた。